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大阪地方裁判所 昭和30年(ヨ)567号 決定

申請人(四名選定当事者) 岡本頼幸

被申請人 新共和タクシー株式会社

主文

被申請人は申請人の被申請人に対する解雇無効確認訴訟の本案判決確定に至るまで、みぎ選定者四名を被申請人の従業員として取り扱い、且つ申請人に対し別紙第一目録記載の金員並に昭和三〇年七月より毎月二十八日限り別紙第二目録記載の割合による金員を支払わなければならない。

申請費用は被申請人の負担とする。

(註、無保証)

理由

当事者双方の提出した疏明資料により当裁判所が一応認定した事実関係ならびにこれに基く判断は次のとおりである。

第一、解雇に至る経過

被申請人新共和タクシー株式会社(以下、会社という)は、従業員約一〇五名車輌大中小型取り交ぜ三〇数台を擁して一般乗用旅客自動車運送を業とする株式会社で、選定者四名は会社の従業員であり、且つ会社従業員約二〇名をもつて組織する新共和タクシー労働組合(以下、組合という)の組合員である。

会社には、昭和二九年七月一一日当時の全従業員によつて新共和タクシー労働組合(以下旧組合という)が結成されていたが、旧組合は後記のような事情で同年八月二五日発足以来一ケ月有余にして解散するに至つた。しかし、旧組合の解散に不満を抱く岡本頼幸等の有志は組合再建を寄々協議し、同年九月一九日同人等を中心とする一〇数名の従業員が、岡本宅に集り、秘密裡に、組合の結成大会を開いて現組合を結成し、次いで同年一〇月一日桜ノ宮公園で臨時組合大会を開催し、同大会において岡本が執行委員長、木内定夫が副委員長、広岡直道が書記長、野村亨等数名の者が執行委員にそれぞれ選出された。その後他の従業員に働きかけて組合加入を勧誘し、組合員の数も次第に増加して相当数に達する見通しがついたので、一〇月二二日の組合大会準備委員会の決定に基き翌二三日午前七時ごろ交渉委員の木内外一名より会社の重役兼営業部長の張振万に対し勤務交替の同日午前八時ごろに会社構内において組合大会を開催することの承認を求め、会社側より拒否せられたが、これを機にはじめて岡本等組合幹部の組合再建活動が会社に対して表面化し、同人等が公然と組合活働を推進することとなつたのである。

かかる折柄、会社は翌二四日朝突如本件選定者岡本以下四名を含む組合主動者八名に対し一斉に配車替(乗務車輌の変更)を発表し、岡本には中型オースチンから大型ビデツト五九号車に、木内には中型オースチン一四号車から大型ビデツト五八号車に、広岡には中型オースチン一三号車からツウドアー式シボレー六三号車に、野村には中型オースチン二〇号車から広岡の右シボレー六三号車に各配車替を実施した。更にその後会社は一〇月三一日、岡本に下車勤を命じた。下車勤というのは、会社の就業規則に定める制裁の一種で、乗務員が不正行為をしたり勤務成績不良等の場合に受持車輌を取り上げ、会社の指示する作業労働に一日八時間の割で就労させ、一日金百円の手当を支給するものである。次いで会社は一一月七日広岡に下車勤を命じ、同月二〇日木内、広岡、野村を予備員に配置転換(一定の乗務車輌を配属させず単に休車の存するときに乗務させるもの)し、同日岡本に対して懲戒解雇通知をなし、翌二一日木内、広岡に同月二十五日野村に夫々解雇予告通知をするに至つたものである。

第二、解雇並にその他の措置の効力

申請人は、岡本等四名の選定者に対する本件配車替若くは予備員配属、下車勤並に解雇は、岡本等組合幹部の組合活動を弾圧排除し組合を崩壊させる意図の下に採られた一連の措置であつて、各措置につき会社の主張する事由(後述)は単に表面上の理由に過ぎず、従つて、みぎ解雇等の措置は不当労働行為として無効であると主張するので、以下この点につき会社側の主張と対照しながら遂次検討する。

1  会社は旧商号の共和タクシー株式会社時代に中国人系資本に買収せられて昭和二八年一二月陳学忠が代表取締役に就任したのを始め重役陣の殆んどを中国人にて占め、営業所を現営業所に移して発足早々、当時の旧々組合が深刻長期の争議行為に突入し、会社側はその間事業所閉鎖、全車運転休止をもつて対抗し、昭和二九年三月下旬旧々組合の潰滅という姿で漸く事態の解決をみると共に会社側も大きな痛手を被つたことは察するに難くない。かくして会社は旧々組合員のうちの約一割の残留者と新規採用者をもつて営業を再開するに至つた。

2  その後昭和二九年八月中旬前記旧組合は結成後はじめて会社に対し夏季手当、歩合給改善等の要求をしたが、会社の実権を握る陳学忠社長は旧組合幹部との正式の団体交渉をもつことを回避し同月一七日ごろ旧組合幹部との非公式会談において、「組合を解散しても従前の共和会(社長を会長とする親睦相互扶助の団体)の組織によつて労働条件の改善に効力する、組合を存続しても今後は組合を認めないし、組合とは一切交渉しない、もしこのことで争議になれば会社を閉鎖する」旨言明して組合の解散を慫慂した。旧組合では討議の結果、組合存続の場合の闘争について勝利の自信がなく、闘争して生活を不安にするよりも、共和会によつて待遇改善の実があげられるものなら組合の解散もやむを得ないとする意見が大勢を占め、昭和二九年八月二五日前記の通り旧組合を解散するに至つた。

3  みぎ解散を不満とする岡本等が労組再建に乗出して現組合を結成し、岡本、木内、広岡がいわゆる組合三役に就任し、野村も亦執行委員としてそれぞれ活発に組合活動を推進していた人物であること、組合が昭和二九年一〇月二三日朝会社重役の張振万に対し組合大会開催の承認方を申入れたのを転機として、組合はそれまでの組合活動を穏密裡に進める方針を一擲し、公然たる組合活動に移行したことは、いずれも前記の通りである。

4  みぎ一〇月二三日の組合大会開催の申入を受けた張重役は交渉委員の木内外一名に対し「組合は嫌いだ、組合がどんなに建設的な意見をもつてきても駄目だ、組合には鉄のカーテンをおろす」と答え、岡本が後刻出社した陳社長に面談したときも、陳社長は組合は絶対に認めないと言明した。

5  翌一〇月二四日朝岡本等四名の選定者を含む組合主動者に突如配車替を前記の如く発表し、その直後行われた会社の朝礼において、陳社長は全従業員に対し「組合活動をすれば会社は閉鎖するかも知れない、不良分子に煽動されて職を失なつたら家族の人々も困るでしよう」と述べ、組合活動家を不良分子と表現して従業員の組合参加を牽制し、朝礼後陳社長は野村、広岡、笠原源太郎、田中末男を社長室に呼び「君らは悪い車に乗せられ困るだろう。組合をやめるなら相談にのつてあげます」と言明し、又同日岡本にも「君はいい人だ、皆の生活を考えて組合活動をやめたらどうです」と話した。

6  一〇月二六日陳社長は組合の執行委員の小泉信市を呼び「あなたは相当家族があり、生活が苦しいでしよう。組合をやめて会社に協力してくれるなら、生活を保障します」と組合脱退を説得し、そのころ職制を通じて組合員に組合脱退を勧告することもあつて、組合員の中には組合幹部に脱退証明書の交付を申出る者さえあつた。

前記1、乃至6、の各事実に徴すれば、会社の実権を握る陳社長はじめ会社の首脳は労組の結成に根強い反感を抱き、労組を企業経営上有害な存在として極度に嫌悪し、労使間の過去の経験から容易に組合を潰滅させることもできるものと信じて組合活動を弾圧排除する意図の下に行動していたことが窺われるのである。以上の各事実並に事情を本件選定者に対して会社の採つた一連の措置に共通する根底として考慮に入れつつ、以下各措置の不当労働行為の成否につき個別的に判断する。

(一)  岡本等四名に対する配車替について

配車替処分については、就業規則に「事業場の都合で………乗務車輌の変更を命ずることがある。この場合従業員は正当な理由がなければ之を拒むことは出来ない」(第八条)、「………営業成績不良の者は乗務車輌を変更することがある」(第二六条第二項)と規定されており、乗務員の性格、運転経験、勤務成績、車種等を勘案し、会社が業績向上をはかるため特別の事情のない限り、業務運営上の措置としてその裁量に属することは、会社側の主張する通りであろう。(イ)しかし、本件配車替については、それが再建組合から会社に対し勤務時間中に会社構内において組合大会を開催することの承認を申入れ、組合活動が始めて公然と明るみに出たその翌日早々になされたこと(ロ)乗務員の給与が歩合給制で前月二一日より当月二〇日までの水揚高に基いて支給されることになつていたのに照応して、配車替処分も従前は毎月二一日に過去の勤務成績を資料としてなされるのが通例だつたにも拘らず、本件の場合は慣例とする日以外の日に大巾に行われた甚だ異例的な処分であること(ハ)乗務員の給与が歩合給制で当月分の水揚料の多寡に依存するので勢い乗務員は客付の良い車を好むのが一般の傾向であるところ、本件配車替前の乗務車輌は中型オースチンの八〇円メーターに比し、配車替後の大型ビデツト若くはシボレーは一〇〇円メーターで後者の客付が悪く、岡本にあてがわれたビデツト五九号車は故障の多い車であり、又木内にあてがわれたビデツト五八号車は当時修理のためエンジンをおろしていた車であり、更に広岡、野村にふりむけられたシボレーはツウ・ドア式のためタクシーとしては不便で客付が悪いことが認められると共に(ニ)配車替に際して岡本等に対する過去の勤務成績を考慮した点についての明確な疏明がなされていないのであつて、これらの事実と前記認定の事実並に事情とを合せ考量すると、本件配車替は、一〇月二三日組合大会開催の申入によつて組合再建の事実をつきとめた会社が前記の如く労組の結成に反感を抱き組合の存在を極度に嫌悪するところから、早速組合再建の中心的人物である岡本等を条件の悪い車に配車替を断行し、給与の低減を招来せしめることによつて同人らの組合再建意慾を阻害する意図の下になされた差別的不利益処遇であることが明かであつて、会社の裁量の範囲を遥かに逸脱するものといわなければならない。

尤も、広岡については、会社が一〇月二三日附で昭和二九年八月二一日より同年一〇月二〇日迄の間の成績不良は努力不足に基く趣旨の始末書(乙第八号証の二)を徴しているけれども、右記載の文言はすべて会社側が一方的に記入したものに本人の捺印のみを求めて本人の自由な意思の表明は一切許容しない方法の下に提出されているのであつて、果して本人の真意に基くものかどうか頗る疑わしいばかりでなく、もし会社が広岡のかかる長期間の勤務成績について他の同種の条件下にある乗務員と比較して特に不良と注視していたのであれば、通例配車替の行われる一〇月二一日当時になぜ広岡の配車替を実施しなかつたのか解明に苦しむ次第である。むしろ、広岡より始末書を徴したのが、恰も組合より大会開催方を申入れた日と同じ日であり、その翌日本件岡本等他の三名を含む組合主動者と一斉に配車替を実施したこと、当日の朝礼直後広岡外三名と陳社長との前記面談のてん末、その他叙上の各事実並に事情より判断すれば、広岡についても、右始末書提出の一事によつて前記認定を覆すわけにはいかない。従つて、本件配車替処分は会社の不当労働行為として無効であるといわなければならない。

(二)  岡本に対する下車勤処分について

会社は岡本に対する本件下車勤処分は、岡本の不正行為によるものであると主張する。すなわち岡本は昭和二九年一〇月一五日午後一一時過ごろ客(街頭調査員大西良男)を乗せ、大阪市曽根崎附近から阪急沿線の石橋まで昼メーターで走行し、客よりあらかじめ契約したいわゆる私契約の料金七〇〇円を受取りながらメーターの記録した料金五八〇円のみを運転日報に記載して会社に収めたことが認められるのであつて、会社は右事実をメーターの不正使用並に料金の一部不正着服として岡本に下車勤処分を命じたという。夜間一〇時以後の深夜時間に賃走する場合は深夜メーターによるべきことの規則があるとしても、近年タクシーが激増して業者間の競争烈しさを加え、客に対して料金を割引してサービスすることがしばしば行われており、又就業規則等でタクシー運転者には粁当り料金高、実車率(二四時間勤務中の全走行粁に対する賃走粁)を基準として一定の報償的給与体系を採用しているのが通例であることから、かかるサービス運転も運転者自身の収入を増すことにもなり、更に深夜遠距離客を私契約料金で走行するのに深夜メーターで走行するときは、メーターの記録する料金との差額について運転者が会社に弁償しなければならないこともあること等の事情から、深夜時間に昼メーターで走行することは、近時タクシー運転者の間にしばしば行われているところであり、会社としても従前かかる取扱いを厳重に取締つていたわけでもないから岡本の昼メーターによる右走行の点を深くとがめることはできない。みぎ差額一二〇円の未納の点につき、岡本はチツプと主張し、又みぎ走行後大阪市内で空車のまま賃走して差額分だけを会社に納入したと主張して会社の見解と対立している。いまこれを街頭調査員の報告に従つて不正行為としても、タクシー業界の前記傾向からして運転者が私契約料金で賃走する場合会社の営業方針等により種々のジレンマに陥ることが容易に想像されるのであり、且つ岡本の場合未收料金が比較的少額で表面化したのが僅か一回に過ぎないこと、岡本が非常に客扱いの良い運転者で、過去の勤務成績も比較的良い方の部類に属することも窺われるのであつて、これらの事実からすれば、会社としてこれを恕すべき点もないわけではない。のみならず、会社が岡本のみぎ事実については、少くとも一〇月二三日以前に知悉していた節が窺われるにも拘らず、会社側はこの事実を援用せずに翌二四日前記配車替処分をなし、次いで同月三一日突如これを理由に下車勤を命じた。

ところで、会社がかかる下車勤を命ずるに至つた心理的経過を辿る上に特に注目すべきことは、前に認定した通り組合が覆面を脱いで一〇月二三日会社に組合大会開催を申入れ、公然と組合活動を推進するようになり、一〇月二四日の配車替処分にも屈せず、岡本は組合の執行委員長として依然最も活発強固な組合活動家として会社の注意人物である反面、会社は一〇月二五日より数日間に亘つて陳社長はじめ会社の職制を通じて組合員に組合脱退を勧誘し、組合切崩しに積極的に努力を払つていた事実である。これらの事実に叙上認定の各事実並に事情を彼此考量すると、会社が不正行為と目する事実につき岡本から一〇月三〇日始末書を徴しさえすれば会社として穏便に済ませようとする意思であつたというのは、到底信じ難く、岡本が組合を解散するか、組合活動から手を引かない限り、会社より次にいかなる手段がとられるかも判らない状況にあつたのであつて、岡本に対する会社の下車勤処分の意図の裡には、岡本の不正を追究して反省を求めるというよりは、むしろこれを一つの手がかりとして、岡本の組合活動に圧力を加え組合の弱体を企図する意思が働いているのであつて、結局岡本の組合における地位乃至組合活動を理由とする不当な差別待遇の意思を基本的な真の処分原因とするものであると認めるのが相当である。

従つて、岡本に対する下車勤処分も亦不当労働行為として無効であるといわなければならない。

(三)  岡本に対する解雇について、

会社は岡本に対する懲戒解雇の理由として、みぎ下車勤処分の理由としたのと同一の行為及びこれに関して一一月一六日岡本が会社から始末書提出を求められて拒否した行為を挙げている。しかし、かかる行為は懲戒解雇の事由に値しないことはみぎ(二)に認定したところからも明かであるばかりでなく、会社がみぎ始末書提出を求めた前日の同月一五日、岡本は組合執行委員長として陳社長に対し文書をもつて、労働協約の締結、越年資金支給外数項目を議題とする団体交渉の申入をなしたことが認められるのであつて、これらの事実と叙上認定の各事実並に事情を合せ考えると、岡本に対する解雇が公然活発化して来た同人の組合活動を封殺排除する意図の下になされたものであることはみぎ(二)の認定と共に余りにも明瞭である。従つて、みぎ懲戒解雇が不当労働行為として無効であることは勿論である。

(四)  木内に対する予備員処分並に解雇について、

会社は、木内に対する本件処分は、同人の勤務成績不良と一一月一六日誓約書(乙第七号証の一)をもつて会社に今後の努力を約束しながらその後も反省の色が見えないことを理由としたものであると主張するが、木内がみぎ誓約書にいわゆる「最近」の勤務期間に業績が著しく不良であつたことを認めるに足る適確な資料がないばかりでなく、会社が同人の成績不良を云々するものの中には、前記認定の不当労働行為たる配車替処分によつて同人にあてがわれた条件の悪い大型ビデツト五八号車による運転収入も含まれていることが認められるから、その限りにおいては成績の挙らないことがあるとしても、けだし当然のなりゆきとして、自業自得といわざるを得ない。のみならず、会社が誓約書を徴して本人の努力向上の有無を視守るには、藉すに相当の期間をもつてするのが当然であるに拘らず、その後木内は解雇に至るまで僅か二回しか運転していないのであるから、かかる短期間の勤務成績から判断して反省の色がないとか、業績改善の見込がないなどということはそのこと自体無理難題を課するものであつて、仮りに会社の主張通りとしても、解雇事由とするには余りに苛酷過ぎるといわざるを得ない。これらの点を加味して前記認定の各事実を合せ考えると、木内に対する解雇は、同人の組合再建活動を阻止乃至排除するためになされた不当な差別的処遇であつて、会社の主張する解雇理由は単に表面上の理由に過ぎないことが認められる。

従つて、同人に対する予備員配属並に解雇の処分はいずれも不当労働行為として効力なきものといわなければならない。

(五)  広岡に対する下車勤ないし予備員処分並に解雇について、

会社は、広岡に対する本件処分は、同人の水揚金著服、勤務中の飮酒酩酊及び勤務成績不良によるものであると主張する。

広岡が昭和二九年四月三日当日の収入金九一六〇円を会社に即時納入せず、且つ当日の乗務車輌を翌日第三者に頼んで会社に搬入したことは認められるけれども、右事件はその直後未収金を分割弁済して当時解決済のものでしかも半年前のことであり、勤務成績不良の点はこれを認めるに足る適確な資料がない。又昭和二九年一〇月二三日勤務中飮酒したとの点については、仮令これが事実としても、僅か一回で当日事故もなく、しかも酩酊したとの点についてはなんらの資料もない。これらの点に叙上認定の各事実を合せ考えると、広岡に対する解雇及びその他の各処分は岡本、木内の場合と同様、公然活発化してきた同人の組合再建活動を阻止乃至封殺するためになされた不当な差別的処遇であつて、会社の主張する解雇理由等は単に表面上の理由に過ぎないことが認められる。

従つて、広岡に対する解雇等の各処分はいずれも不当労働行為として効力がないといわなければならない。

(六)  野村に対する予備員処分並に解雇について。

会社は、野村に対する本件処分は、同人のメーターの不正使用、料金の不正著服、勤務成績不良並に無断欠勤の故をもつて処分した旨主張する。

野村が、一〇月二六日午前〇時ごろ客(街頭調査員二名)を乗せ大阪市内から高槻まで一〇〇〇円の約束で昼メーターを使用して走行し、途中メーターが七〇〇円を記録したときからメーターを立てたままとし、高槻からの帰途私契約の料金との差額三〇〇円を空車で賃走したことが認められるが、昼メーターの使用については岡本の場合に認定した通り、これをとがめることはできないのみならず、メーターの記録が私契約料金を超える場合には、乗務員に差額分を弁償させるのが会社の従来からの方針であつたので、野村は、かかる差額の生ずることをおそれて、客にわざわざメーターのみぎ操作を説明していることが認められるのであつて、野村に不正領得の意思がなかつたことが認められ、又勤務成績不良並に一一月二一日の無断欠勤の点についてはこれを認めるに足る適格な資料がない。むしろ野村は前記配車替前の勤務成績の点では、優秀な部類に属する運転者であることが窺われる。仮りに前記配車替後成績不良の点を生じたとしても、それは会社の不当労働行為としての配車替の結果であつて、その責を野村に転嫁することは許されない。これらの点と敍上認定の各事実とを合せ考えると、野村に対する本件処分は結局同人の組合再建活動を封殺排除するために不当な差別的待遇の意図の下になされたものであつて会社の主張する解雇理由等は全く表面上の理由に過ぎないことが明かである。

従つて、野村に対する解雇等の処分は、いずれも不当労働行為として無効といわなければならない。

以上の通り岡本ら四名の本件選定者に対する配車替及び下車勤若しくは予備員配属処分並に解雇は、いずれも労働組合法第七条第一号所定の不当労働行為として無効であるから、同人らは依然として前記一〇月二四日の配車替処分以前の会社従業員たる地位を保有するものといわなければならない。従つて、又、同人らは依然として会社に対し賃金請求権を有するわけであつて、その月額は同人らが一斉に受けた前記配車替以前三ケ月間の平均賃金額を基礎として計算するのが相当と認められる。その平均賃金が別紙第二目録記載の通りであることは計数上明かである。ところで会社の乗務員給与は前月二一日より当月二〇日までの分を当月二十八日に支給する建前になつているから、同人らはすでに履行期の到来している昭和二九年一〇月二一日より同三〇年六月二〇日までの間のみぎ平均賃金より既に一一月分の給料として受領済の金額及び同人等のその他の控除分を差し引いた別紙第一目録記載の各金額及び将来の分としてみぎ平均賃金を請求する権利を有するものといわなければならない。

第三、仮処分の必要性

一、岡本らに対する相次ぐ不当解雇処分によつて同人らの組合活動に甚大な支障を来し、組合自体の組織運営上重大な危機に瀕していることは、十分に推察されると同時に又同人らが賃金労働者として生活の糧を奪われて生活破滅の危機に直面していることも容易に想像されるところであるから、かかる不当労働行為によつて招来された現在の危難状態を排除する緊急の必要性があるものといわなければならない。

二  1、被申請人は、本件に関する大阪地方労働委員会の救済命令に対して会社は中央労働委員会に再審査の申立中であるから、その判断のあるまで本件仮処分の必要性はないと主張するけれども、単に中央労働委員会に提訴中というだけのことで岡本らに本件仮処分による緊急救済の途が閉されるわけはないから、みぎ主張は理由がない。

2、被申請人は、更に、岡本らがすでに失業保険金を受けた限度においては、賃金支払の仮処分の必要性はないというけれども、賃金と失業保険金とは自ら性質を異にし、岡本らは本件仮処分によつて賃金の支払を受けるにおいては、すでに受領した失業保険金をその筋に返すべき関係に立つものであるから、みぎ受領の一事によつて本件仮処分の必要性がないというのは、理由がない。

第四、結論

以上の次第で、申請人の本件仮処分申請はすべて理由があるから、申請人に保証を立てしめないで許容することとし、申請費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り決定する。

(裁判官 坂速雄 木下忠良 小湊亥之助)

(第一、第二目録省略)

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